艦内神社ノ世界

空母瑞鶴と橿原神宮

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 橿原神宮の境内には空母瑞鶴の慰霊碑「航空母艦瑞鶴之碑」がある。
 一部ではそれを根拠に艦内神社なのではという情報もあるが、瑞鶴の慰霊碑が橿原神宮に決定した経緯は戦後にあり、少なくとも艦内神社との関係は無い。
 今回は同地に慰霊碑が出来た経緯について紹介したい。

 まずは空母瑞鶴の碑の位置である。実は最初行ったとき迷ったのだが、橿原神宮の境内は非常に広い。これは戦前に幾度か境内が拡張された結果でもある。神武天皇が即位した日本建国の聖地として重要な場所とされていたのだ。

 橿原神宮公式サイト|橿原神宮の歴史

 瑞鶴の碑は橿原神宮の本殿からはかなり離れた場所にある。地図で見ると実は一つ北の畝傍御陵前駅のほうが最寄だったりする。
 この場所は実は「池田神社」という神社の横である。 池田神社は橿原神宮の境内ではあるのだが橿原神宮が出来る前から存在しており、祭神は大日本耜友尊(第4代懿徳天皇)である。昔はこの一帯に畝傍村という村が有り、この神社はその村の鎮守社だったのだが、橿原神宮の境内拡張により村は移転となり、この神社だけが神宮の一部として残った形になった。
 この神社付近は若桜友苑(わかざくらゆうえん)と名付けられており、昭和48年に甲飛十三期会により建立された「殉国の碑」と共に整備された公園である。

若桜友苑の入口

若桜友苑の入口

殉国之碑(omi提供)

殉国之碑(omi提供)

 甲飛十三期会とは昭和18年に入隊した「第十三期海軍甲種飛行予科練習生」で結成された会である。海軍甲種飛行予科練習生は通称「予科練」と言われる志願制の飛行部隊ではあるが、末期はその多くが特攻隊となり亡くなっている。

 甲飛十三期会が橿原神宮に碑を建立した経緯については「甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会・関西甲飛十三期会 公認HP」の殉國之碑の発願と建立に書かれている。転載はご遠慮とのことで要約すると、「日本建国の地」ということで橿原神宮に決定したようである。しかし当初神宮からは拒否されたものの、当時の橿原市長好川氏の力添えで池田神社への建立許可を得たという。

 その数年後、昭和53年に空母瑞鶴の乗組員やその遺族らにより瑞鶴会が結成され、慰霊碑の建立を目標とすることとなった。 慰霊碑の建立場所は当初海軍墓地などを検討したがまとまらなかった。その後、碑の建立場所を探しているということを好川氏が知り、この若桜友苑を紹介したことが発端のようである。
 詳細については昭和56年に「瑞鶴慰霊碑建立記念集」というものが発行されており、国会図書館東京本館や奈良県立図書情報館に所蔵されている。

予科練に纏わる各機種や特攻兵器の説明看板

予科練に纏わる各機種や特攻兵器の説明看板

 と言うわけで、瑞鶴については碑と艦内神社の関係は一切見受けられないのが現状である。

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有終/海軍有終会(昭和2年11月)より

 とはいえ、橿原神宮は建国の聖地であり皇室とも関わり深いということで重要視されており、海軍関係者による公式参拝も度々行われている。
 また、大正14年に竣工した軽巡洋艦阿武隈には福島県白河の鹿嶋神社のほか、崇敬神社として伊勢神宮(天照皇大神)、明治神宮(明治天皇)、橿原神宮(神武天皇)が艦内神社として合祀されていたことが分かっている。
 艦内神社の崇敬神社についての情報はほとんど解明できておらず、他にも橿原神宮が乗せられていた艦はあるかもしれない。

 ということで、瑞鶴の碑を訪問する際には、それだけではなく一緒にある殉国の碑や展示にも目を向けて行って欲しいかも。という記事でした。

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参考文献
瑞鶴史 1979/瑞鶴会
瑞鶴慰霊碑建立記念集 1981/瑞鶴会
愛国顕彰ホームページ 祖国日本
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