艦内神社ノ世界

軽巡洋艦川内と川内新田八幡

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 軽巡洋艦川内は三菱長崎で大正11年(1922)2月に起工、大正12年(1923)10月に進水し大正13年(1924)4月29日に就役した艦である。川内の名前は九州南部を流れる全長137kmの川内川に因んだものである。
 なお言うまでも無いが、文中の川内はすべて「せんだい」と読む。

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薩摩川内市街地を流れる川内川

鹿児島新聞 大正12年10月30日より

鹿児島新聞 大正12年10月30日より

 川内艦との繋がりがあるのは川内川の河口近くにある薩摩川内市であるが、前身である川内町が発足したのは1929年と川内艦の就役後であった。
 川内艦の進水時には、川内川の沿線に位置する薩摩郡長(現おおよそ薩摩川内市)を初めとする有志により艦へと祝電が送られ、竣工時には薩摩郡の小学児童が「川内川に望みたる新田神社にして後に可愛山稜を望みたる春の朝十時頃の景」なる油絵を艦へと寄贈している。
 この絵についてまた別にエピソードがあるのだが、それについては雨の九州調査実録(2015年6月)および雨の九州調査実録 弐(2016年1月)を参照願いたい。

 

鹿児島新聞 大正13年4月29日より(絵の部分は川内市史上巻より移植)

鹿児島新聞 大正13年4月29日より(絵の部分は川内市史上巻より移植)

 油絵にも描かれた新田神社は、薩摩川内市にあるニニギノミコトを祀る神社で、薩摩国一宮の一つでもあった(もう一つは枚聞神社)。かつては八幡五所別宮の一つだったため新田八幡や川内八幡とも呼ばれているが、現在は八幡神は祀られては居ない。

 川内艦と新田神社のつながりは進水後すぐからあった。進水式の行われた10月30日の5日後、11月4日に地元の有志が新田神社にて川内艦の武運長久祈願祭を行い、同社の守護札を艦へと贈ったのである。
 報道によって「守護札」「お守り」とありニュアンスが異なっているが、その後の報道では新田神社「御神符」が艦に安置されていたとあるので、すくなくとも「神札(神符)」が、そしてあわせて「御守」も贈られたのではないかと推測する。

鹿児島新聞 大正12年11月6日より

鹿児島新聞 大正12年11月6日より

鹿児島朝日新聞 大正12年11月7日より

鹿児島朝日新聞 大正12年11月7日より

 この御神符は艦内の祠に安置され、艦の守護神として礼拝されてきたとある(鹿児島新聞1924/7/18)。しかし、この時点ではあくまでも新田神社の神札が置かれただけであり「新田神社が分霊」されたわけではなかった。

鹿児島新聞 大正13年7月18日より

鹿児島新聞 大正13年7月18日より

 川内艦に新田神社を分霊したのは竣工から約2ヶ月半後、大正13年(1924)7月18日のことである。川内艦は秋に行われる海軍大演習の準備行動のために佐伯湾に出動となり、7月15日午後に佐世保を出航、その途中16日早朝に、川内の隣町である串木野沖に投錨した。艦名ゆかりの地、川内地方にて地元と交流するためであった。
 投錨中は油絵を贈った川内地方の各小学校の生徒らを艦へと呼び見学会を行った。また、艦からも18日に艦長始め乗組員一同が新田神社へと参拝を行った。
 新田神社側では16日に御分霊祭を行い、17日に宮司等神社関係者が神鏡を奉じて川内艦へと向かい、中甲板に設けられた祭壇で乗組員参列の下に鎮座祭を行ったと報道されている。これにより正式に艦へと「分霊」されたこととなる。

鹿児島新聞 大正13年7月19日より

鹿児島新聞 大正13年7月19日より

鹿児島朝日新聞 大正13年7月19日より

鹿児島朝日新聞 大正13年7月19日より

  その後の川内艦の川内方面への寄港状況は不明であるが、神社との繋がりはそれなりに深く続いていたようで、各種資料が残っている。
  特に1938年に発行された「国幣中社新田神社略誌」には(例)祭日一覧に次の記述がある。

祭日一覧
 小祭
 川内神社例祭 七月十七日
 軍艦「川内」に奉斎せり當社御祭神の例祭にて武運長久を祈るなり

 神社の例祭日一覧に川内艦の艦内神社の例祭が載っているのである。この例祭はいつから始まったのかは定かでは無いが、少なくとも昭和18年(1943)までは行われていたようであり、神社側の昭和18年7月17日の日誌には「川内神社例祭執行宮司以下奉祀の上撒下品送付(寿留女五枚 鰹節五本) 外苑に軍艦旗を掲揚す」とある。
 また、川内艦が佐世保に入港したときに祭典を行うため、艦へと神社関係者が出張をすることもあった。このような祭典のための出張は他の艦でも度々見られる。
 その他、艦内神社への空中参拝の話で書いたが、川内艦の艦載機が新田神社上空で空中参拝を行ったり通信筒を落としていったという記録も残っている。

 戦後も1986年~2003年にかけて新田神社で慰霊祭が行われていたという。神社の表向きには軍艦に関係するものは特に残されては居ないが、御祈願受付所付近の廊下に軽巡川内および護衛艦せんだいの額と、地元の元乗組員が奉納したと思われる戦艦榛名の額が飾られている。

新田神社

参考文献
鹿児島新聞
 1923/10/30 軽巡洋艦川内進水式 川内より祝電
 1923/10/31 軍艦川内 無事進水を終る
 1923/11/5 川内艦へ寄贈 郡全部から額面
 1923/11/6 軍艦川内へ八幡の護符
 1924/4/29 巡洋艦川内へ贈る油絵
 1924/5/4 川内の大喜び
 1924/7/17 因縁深い川内 串木野入港
 1924/7/17 川内観覧大賑い
 1924/7/18 新田御分霊を川内艦に祀る 全員参列して荘厳な鎮座祭
 1924/7/19 御陵道から歩武堂々と 亥角艦長以下新田八幡参拝
鹿児島朝日新聞
 1923/11/7 川内艦に神社の御守
 1924/7/15 川内艦入港と児童の見学
 1924/7/17 川内の賑い 祇園祭に海軍兵
 1924/7/19 新田神社で川内艦の祈願祭
国幣中社新田神社略誌 1938/新田神社社務所
川内市史 上巻 1976
近代日本における艦内神社(久野潤) 日本国史学第三号 2013/日本国史学会
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