艦内神社ノ世界

艦艇別補足暫定版

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 艦内神社の総合的なFAQについては基礎知識にて公開していましたが、艦艇別に補足を入れるのを忘れていたところがあるので、よく誤解などが多い艦艇を中心に補足記事を公開しました。
 これらの艦艇については今後正式な記事を公開予定です。

 

「海防艦金剛」と皇大神宮別大麻
伊勢新聞 T13/4/29

伊勢新聞 T13/4/29

 【載せられていた確率=☆☆☆☆☆】
 『帝国海軍と艦内神社』では別大麻の奉斎された艦について『「日進」「金剛」は日清・日露戦争に参加した海防艦である』との記述があるが、「金剛」は先代ではなく二代目の戦艦のほうの「金剛」である。海防艦金剛はすでにこの頃には退役・廃艦となっており存在しない。また、当時の伊勢新聞で同日戦艦金剛が伊勢神宮を参拝していることが報道されていることを確認している。
 詳細:初代『金剛』に別大麻は奉斎されていたのか?(青山氏)

 

「戦艦山城」と両賀茂神社

 【載せられていた確率=★☆☆☆☆】
 『旧日本軍をめぐる宗教的事象序説』にて、山城に両賀茂神社(京都市上賀茂神社・下鴨神社)が祀られていたような記述があるが、古い論文であることから単純に戦艦=一宮からの連想らしく、その事実自体無いようである。(久野氏談)こちらで確認している複数の資料にも両賀茂神社が載っているものは一切無い。
 また、その論文を元にしてクイズマジックアカデミー(QMA)にて問題文と採用されてしまっているので困ったことになっている。ゲーム的には正解だが史実的には間違いである・・・

 

「戦艦日向」と都農神社
昭和九年度軍艦日向記念写真帖より

昭和九年度軍艦日向記念写真帖より

 【載せられていた確率=★☆☆☆☆】
 日向建造時に都農神社から書簡で神棚の奉斎を申し出たというのだが 1、竣工時(新聞記事)から昭和9年(昭和九年度軍艦日向記念写真帖)までの間に戦艦日向と都農神社が関係しているような資料は見つかっておらず、状況的に都農神社を祀っていた可能性は非常に低いのではないかと考えられる。

 

「空母瑞鶴」と橿原神宮

 【載せられていた確率=★☆☆☆☆】
→空母瑞鶴と橿原神宮へ(2015/9/26公開)

 

「重巡古鷹」と古鷹神社

hurutaka_J 【載せられていた確率=★☆☆☆☆】 ※江田島八幡宮として
 広島県江田島市、江田島八幡宮境内にある古鷹神社は古くは御鷹神社と言う名前であった現在ある古鷹神社は2006年に復興したもので、実は1889年に火災により江田島八幡宮に合祀されており、軍艦古鷹の活躍した当時には存在していなかった。
 昭和2年に古鷹山山頂に復活させる予定があり、その際に軍艦古鷹への分霊の予定もあった 2ようなのだが、結局は海軍兵学校の八方園神社の創建が優先され復興されていない。
 一部で「分霊した証拠がない」と思われているが逆で、「そもそも神社が存在しなかったため分霊不可能」だった可能性の方が高い。なお、代わりに江田島の総鎮守でもある江田島八幡宮が載せられた可能性は排除できない。

 詳細:軍艦古鷹と幻の古鷹神社(青山氏)
 関連:古鷹神社参拝のお知らせ

 

「重巡鈴谷」と樺太神社
軍艦鈴谷絵葉書

軍艦鈴谷絵葉書(青山提供)

 【載せられていた確率=★★★★☆】 ※載っては居るだろうけどなんか怪しい資料があるので・・・
 竣工前に樺太神社の神霊を乗せるという話は出ているのだが(寄贈物品受納に関する件 Ref.C05034319100)、その後実際に載せられたかどうかはまだわかっていない。
 また、鈴谷竣工後に作られた絵葉書では明らかに樺太神社や皇大神宮とは違う神社が描かれており、いったいどこが分霊されたのか謎状態である。というかどこなのこれ。

 

「軽巡天龍」と大山祇神社
奉納写真からも海神としての崇敬が伺える

奉納写真からも海神としての崇敬が伺える

 天龍はなぜ静岡の神社ではなく愛媛の神社なのか? 不思議に思ってる人も多いだろうが、大山祇神社は古来より海の神様(海神)として有名な神社で、呉鎮守府からも近いことから海軍関係の参拝も多くあった。正式な艦への奉祀記録は公開されていないので不明だが、「天龍」「如月」以外にも多くの艦に祀られていた可能性は高い。
 なお、大三島町史大山祇神社編には参拝した海軍艦艇の一覧が載っている。竣工前に訪れているパターンもみつかり興味深い。

 氏神神社として静岡県内の神社も祀られた可能性は無論あるのだが、現在のところ発見できてはいない。

 

「阿賀野型軽巡」の艦内神社

 阿賀野型の艦内神社は現状すべて「不明」が正しい情報である。一部で具体的な名前が挙がっている神社があるが、名前が同じなだけ、もしくはその名前を引き継いだ自衛艦の艦内神社である。これらの艦はすべて竣工が開戦後のため、地方の氏神を分霊する余裕がなかった可能性もある。
 特に矢作神社は初代の「防護巡洋艦矢矧」の分霊記録や奉納品は残っているのだが、「軽巡矢矧」については全く不明という。他の艦も同様な状態の他、阿賀野に至っては神社の比定すら出来ていないのが現状である。

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Notes:

  1. 帝国海軍と艦内神社等
  2. 『神社協会雑誌』(第27年第4号)
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