艦内神社ノ世界

戦艦榛名 その守護神の一生 ~神霊の40年~

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※この記事はかんたんのゆめ 軍艦榛名 守護神の一生」の加筆版です。
榛名神社(軍艦榛名記念写真帖 昭和10年度より)

榛名神社(軍艦榛名記念写真帖 昭和10年度より)

 戦艦榛名はその名前の通り群馬県の榛名山に因み、竣工半年後の大正4年10月に、榛名山にある榛名神社の祭神である火の神「火産霊神」と土の神「埴山姫神」を守護神として艦に奉祀している。この神霊は神社神職惣代社司、同氏子総代を発起人として艦へと寄贈されたものである。
 なお竣工は4月なので半年間艦内神社が無かったことになるが、この当時はそれが普通であった。たとえば同型艦の軍艦比叡に艦内神社が出来たのは大正15年のことである。榛名は金剛型四姉妹の中では一番艦内神社の設置が早かった。

 

榛名神社参拝記念奉納物(室田町誌より)

榛名神社御分霊記念奉納物(室田町誌より)

上毛新聞 大正4年10月9日

上毛新聞 大正4年10月9日

千木の光37号 (昭和7年2月)「榛名神社の神威と軍艦榛名の光栄」 群馬県神職会 編

千木の光37号(昭和7年2月)「榛名神社の神威と軍艦榛名の光栄」 群馬県神職会編

 昭和3年の榛名改装工事竣工の際(第一次近代化改装)5月に艦長が榛名神社へ登山して祈願奉告祭を行い、7月に横須賀碇泊中の艦上で「巡洋戦艦榛名改装完了祝賀大祭典」が行われている。その際は榛名神社社司と社掌総代五名が神社から出張している。
 その後昭和5年5月の横須賀港空と海の博覧会開催中に大祭典、昭和6年10月に榛名艦祝賀奉賓祭が行われており、この際にも神社から出張が行われている。
 上の史料は当時の群馬県神職会の会報「千木の光」で、この一巻だけが群馬県立図書館に所蔵されており、現地で開架にあったのでなんとなく手に取ったところ、偶然にも軍艦榛名の記事が載っており非常に驚いたのだった。内容は大正4年の神霊奉祀から昭和6年までの神社と軍艦の間にあった式などのやり取りが書かれており、艦内神社研究の資料的価値としても大変高いものである。

群馬の史蹟めぐり 群馬県勝地協会編(昭和16年)

群馬の史蹟めぐり 群馬県勝地協会編(昭和16年)

 その後は実は資料がなく不明であるが、他の例から行くと昭和10~12年頃までは艦長が参拝したり艦に出張したりと、特に変わらない関係が続いてい たのではないかと思われる。その後は行動が守秘になったり、活動が増えてきたりして神社との交流が少なくなっているケースが見られる。

 左の史料は昭和16年の群馬県の「観光ガイドブック」の一種である。榛名神社の項には「大正四年軍艦榛名に御分霊を奉祀し爾来年々艦長その他来拝し神社よりも時々神職を派す」と書かれている。また、同じく県社赤城神社の項にも航空母艦赤城の件が書いてある。

 昭和15年11月に海軍諸令則「艦船部隊官衙學校等に於ける祭神奉斎に関する件」が出たことから、天照大神(伊勢皇大神宮)を合祀したものと思われる。

 そして昭和16年12月に太平洋戦争開戦。榛名の活躍については詳細は各自調べてもらうとして、最終的に金剛型四姉妹のうちではただ一人日本に帰り着き、昭和20年7月28日の空襲で江田島の小用港にて大破着底し、その艦命を終えた。

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昭和22年の軍艦榛名空撮

 その後榛名は昭和21年に上部を解体し武装撤去、公式にはこれで解体完了だが船体部分はそのまま残り(全部やってるとGHQの指定作業完了日に間に合わなかった模様)昭和26年までにはすべてが撤去されている。

 船体としての榛名はこれで役目を終えたのだが、実は榛名の守護神は戦後すぐに江田島八幡宮へと退避され江田島島内で生きていた。その後いろいろと落ち着いた昭和30年7月30日に分霊元の榛名神社へと奉還されている。

 下記は昭和48年に榛名会(軍艦榛名乗組員の会)の有志が製作した「護衛艦はるな」の就役記念アルバムに載っている記事(その後雑誌「水交」にも「軍艦榛名艦内神社始末記」として記載)で、守護神を榛名神社へと奉還した際の初代艦長の奉告文である。

 

奉告文

掛巻も畏き榛名神社大社の御前に旧軍艦榛名初代艦長正四位勲一等功四級舟越楫四郎謹み畏みて申さく

今は早や四十餘年の昔、神戸川崎造船所に於て建造せる巡洋戦艦に、上州の名山に因みて「榛名」と命名せられ、大正二年十二月進水の時より不肖其の建造艤装に任し、大正四年四月十九日竣工帝国軍艦籍に編入の日を以て初代榛名艦長拝命、翌五月初めて所管横須賀軍港に回航せり

 

六月五日大正天皇本鑑に臨幸、僚艦霧島及新進駆逐艦十隻を併せて御親閲あらせられ、翌六日には皇太子殿下行啓の光栄に浴せり

 

前記の如く「榛名」と命名せられたる結果、群馬県社榛名神社の御分霊を勧請奉祀本艦守護神となす事となり、不肖以下乗員代表士官八名を連れて、大正四年十月十日午前当本社に参拝し厳に祭儀執行の後、御霊代を拝受翌日帰京、次て、十月十二日午前横須賀軍港に於て総員出迎の裡に榛名に乗艦せられ豫め艦内に設けたる社殿に奉祀し、榛名神社と称し奉りて、爾来、日夕、乗員に参拝せしめ例大祭は勿論事ある毎に臨時祭典を営み奉謝祈念の誠意を尽せり

 

十月本艦伊勢湾に於て訓練中皇太子殿下(今上陛下)再び行啓数日を艦内に過させられ、艦内生活を御体験あらせらる

十一月大正天皇御即位式後不肖東郷元帥の快諾を得て聖諭五箇条の揮毫を請ひ乗員精神教育の資料とせり

かくて軍艦榛名は、御神護の下毎年艦砲射撃魚雷発射戦斗速転等あらゆる戦技に抜群の優績を挙げ帝国海軍主力艦中の花形として常に国防第一線の重任に当り、幾度か御召鑑たる光栄に浴し名声噴々たるものあり

歴代の艦長皆よく艦威の発揚に努め、屡々当御本社に参拝して神恩を感謝し、神護を祈念せり。

其後国際情勢に対応し、軍艦榛名は船体機関及兵装に大改修を加へ威力を増大し、船種を戦艦と改め高速戦艦として益々重任を帯ぷるに至れり。

 

昭和十六年十二月大東亜戦争勃発するや、高間完・石井敬之・森下信衛・重永主計の四氏相次いで榛名艦長の重責に任じ、南洋に、印度洋に、又南北太平洋に勇戦敢闘大に戦果を収め、僚艦の多くが外地海底の藻屑と消へ失せたるにも拘らず、榛名は無事内地に帰還し吉村真武最後の艦長として防戦これ努めたる も、昭和二十年七月二十八日呉軍港対岸江田島小用沖に於て被爆擱座の儘遂に三十年の艦命を終るに至れるは誠に痛惜に堪へず

然れども四年に亘る這次大戦中軍鑑榛名の打ち出せる弾丸はよく敵に命中し、敵の打ち出せる弾丸魚雷及爆弾は悉く榛名を外れ、幾度か死地に突入しながら奇蹟的に被害を免かれ、危機を脱し得たるは全て榛名大神御加護の賜物と乗員一同深く驚喜感佩措く能はざる処なり。

 

榛名鑑内の御霊代は総員退艦、江田島に退避の際吉村艦長之を捧持保護し、間もなく終戦となり総員解散の前日即ち昭和二十年八月二十三日同島の鎮守八幡神社宮司の快諾を得て之が保管を同神社に委托せり

 

爾後十年戦後の混乱も漸く収まり、這般の事情判明せるを以て、不肖等当初の奉祀関係者相図り、此際御霊代を御本社に奉還の議を決し、吉村艦長をして 江田島八幡宮より之を迎へ奉り、四十年前参殿御分霊を拝受せし者奇しくも奉還の為め茲に又御霊代を捧持し、初代榛名乗組土官西川速水・作間応雄・山田満・ 原清及参戦艦長高間完・石井敬之・吉村真武の諸貝供奉して当榛名神社に参拝奉還の儀を執り行ひ、茲に過去数十年の長きに亘り軍艦榛名及乗員に賜りたる宏大 無辺の御神護に対し奉り赤誠を披瀝して感恩奉謝の微意を表するを得たるは無上の光栄とする処なり

 

尚東郷元帥揮毫聖諭五箇条の扁額は昭和十九年三月軍艦榛名決戦を期し出撃前万一にも艦と運命を共にせざる様周到の注意を以て重永同艦長より不肖の許 に返還し来れるが、在役三十年間御分霊に次いで榛名将士の軍人精神涵養に資せる思出深き記念品なるに付、茲に謹んで之を榛名神社に奉献し神恩感謝の表象とす

 

終りに臨み、平和己に克復国家再興の偉業着々進興中なるも世界の趨勢尚豫測を許さぬもの多し、仰ぎ願くは神霊不肖等の微哀を嘉納し給ひ我国家国民の上に更に尊き宏大なる御加護を賜はらん事を熱願し奉る

 

昭和三十年七月三十日

 奉還があったという話は過去に歴史読本 「艦内神社 艦に祀られた神々」(2010/09)に載っており、ネット上にも奉還日が書かれている掲示板があったのだが、いかんせんそのソースが全く見つからず困りはてていた。そんな中、九段下の昭和館図書室にあった雑誌「水交」内で「軍艦榛名艦内神社始末記」という記事を偶然発見したものである。

 

haruna1 戦後10年間榛名の神霊が安置されていた江田島八幡宮には、拝殿内に榛名の写真が掲げてあったが、特にこの件についての説明もなく、地元地誌や当時の新聞(広島・群馬側両方)などにもこの件についての記述は見当たらなかった。
 このような奉還の資料はほぼ唯一のものであり、特に太平洋戦争参加艦での元の神社への奉還例は榛名以外見つかっていない。(明治生まれの艦だと戦艦安芸・石見あたりが記録にある)

 他にも、艦内神社の奉還はされていないが乗組員が自宅に祀った例や、沈没した付近の神社に安置された例などが見つかっている。戦後生き残った艦の艦内神社について、どうなったのか興味は尽きないのだが、こうした資料はめったに残っていないのが現状であり、戦後70年にもなりもうどうにもならない可能性のほうが高いのかなと半分諦めモードでもある。

 そもそもいまだに祀られてるものすら分からない艦まで居たりするのだが・・・

参考文献
軍艦榛名案内(戦前)
千木の光 7号 「榛名神社の神威と軍艦榛名の光栄」 1932/7 <群馬県立図書館蔵>
軍艦榛名記念写真帖 昭和10年度 <昭和館蔵>
室田町誌 1966
財務省広報誌ファイナンス 艦艇解撤–旧日本陸海軍艦艇解体作業(戦後財政史) 1973
雑誌「水交」(平成5年11月号)「軍艦榛名艦内神社始末記」 <昭和館蔵>
呉・戦災と復興 旧軍港市転換法から平和産業港湾都市へ 1997/呉市
世界制覇(上) 2000/講談社

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