艦内神社ノ世界

工作艦明石と二つの神社

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 工作艦明石についての資料は乗組員記念誌として「工作艦明石追想録」という本が出ておりこれに詳しい。
 元乗組員らの書いた当時の思い出が主だが、そのひとつに年表形式で工作艦明石の一生を書いたものがあり、その中には工作艦明石がいつ頃にどの船を修繕したかの記録まであったりする。
 他にもいろいろなエピソードが載っており、工作艦明石について調べている人は必見の本である。非売品のため手に入れにくい本ではあるが、東京であれば靖国偕行文庫横浜みなと博物館、関西であれば明石市立図書館などに所蔵されている。

 

akashi1 さて、同年表記事の中には艦内神社関係の記述も一文だけだが載っている。それが右の文章である。「艦名を明石市 1より採用、艦内神社には『明石神社』の分神が祀ってあった」とあり、なるほど分霊は明石神社からなのか。と納得しそうになるのだが、面倒なことにこれだけで判断するのはまだ早いのである。

akashi2 実は同じ本にある別の人が書いた記事によると、また他の神社が関わっていることがわかる。
 それが次の文章で、工作艦明石の進水式には明石市の「柿本神社」の宮司を呼んだと書いてある。内容的に信頼性も高いのでは無いかと思われる。
 無論こちらの文章に艦内神社に柿本神社を祀ったと書いてあるわけではないのだが(そもそも艦内神社関係の神事は竣工式で行う)、進水式に関係して竣工式に関係してないとも思えず、艦内神社としても祀られていた可能性は十分にあり得る。

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柿本神社

 柿本神社は飛鳥時代の歌人「柿本人麻呂」を祀る神社である。工作艦明石の進水式では柿本人麻呂の詠った明石の浦にちなむ古歌「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれ行く船をしぞ思ふ」に曲をつけて歌ったという。また、その際に発行された工作艦明石の進水記念絵葉書にも柿本人麻呂とこの歌が描かれている。
 はっきり言えば柿本神社は軍艦明石の艦内神社かどうかはまだわからない。しかし、工作艦明石と十二分に関係していた神社には間違いはない。

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明石神社

 対する明石神社ではあるが、実際に行ってみるとコンクリート造りの小さな神社である。これは阪神淡路大震災の際に社殿に被害を受け、しばらくそのまま放置されていたものを新築で復旧させたものという。
 明石神社はもともとは明石城内に祀られていた邸内社 2であり、祭神はなんと「松平直良・松平直明」とその祖父である「徳川家康」である。

 

 このように、軍艦明石に纏わる神社は二つあるのだが、どちらが艦内神社であったかはハッキリしていない。最初の記事にあるように、軍艦明石は昭和14年10月12日に明石市を訪問していることはわかっているのだが、当時の新聞には特にどちらを参拝したという情報などは無かった。

 

軍艦明石進水記念絵葉書(大和ミュージアム展示)

軍艦明石進水記念絵葉書(大和ミュージアム展示/青山提供)

 なお、進水記念絵葉書には柿本人麻呂のデザインされたもの(右)の他に、明石城の入ったもの(中央)もあった。これがもしかして明石神社絡みなのでは・・・というこじつけも出来ないこともない。単純に明石のシンボルだから、という可能性のほうが高くはあるのだが・・・
 しかし、柿本人麻呂にしても徳川家康・松平直明にしても、軍艦に祀るにしては変わった祭神であることには違いはない。

参考文献
工作艦明石進水記念絵葉書(戦前)
工作艦明石追想録 1988/工作艦明石慰霊碑保存会
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Notes:

  1. これは間違いで本来は「明石の浦」もしくは「明石海峡」が由来
  2. 私邸内の個人で祀っている神社
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