艦内神社ノ世界

雨の九州調査実録 弐(2016年1月)

Tweet about this on TwitterShare on Google+0Share on Tumblr0Share on Facebook0

コミケに使った18きっぷが一日分余ったので、鹿児島に行ってくることにした。

1/10(日曜) 大分→宮崎→鹿児島へ

18きっぷで大分から鹿児島に行こうとすると、宗太郎越えという18キッパー泣かせの区間がある。

こんな感じ(右の黒いのが普通列車、他は特急)
と言うわけで、夕方までこの区間の列車が無いためその時間までゆっくりしていても良いのだが、佐伯で前に訪問したものの時間やらの関係で失敗したところがあり、まずそこに寄っていくことにした。 そのあたりは艦内神社の話題とは大きく離れるのでTwilogで追って欲しい。

前回は失敗した佐伯での慰霊碑訪問は無事に完了。弁当を買ったものの箸を忘れる痛恨のミスに泣きながらも、日が変わる直前に鹿児島駅に到達。天文館のネカフェに入った。

1/11(月曜・祝) 鹿児島県立図書館

昨日の晩飯予定だった弁当を朝食とし、天文館から歩いて15分ほどの鹿児島県立図書館へ。
と、外に出ると雨だった。前回も雨だったしなんかこっちに来ると雨っぽい。そして今回も傘持ってない。
ネカフェでgdgdしたため開館には遅れたが、10時過ぎから閉館の17時まで、昼飯以外ひたすら新聞を確認していた。

鹿児島県立図書館の有難いところは明治~昭和8年あたりまでの鹿児島新聞の縮刷版を開架に置いてくれているところである。縮刷版というだけでもマイクロフィルムに比べて閲覧は楽なのだが、さらに開架に置かれていることにより好きなように手にとって閲覧できる。最高。
そして面倒くさい点は、コピー機が二階であるという点である。

2016-01-26_16h57_31

そして縮刷版はめっちゃコピー機に掛けづらい。これも豆ちしき。
さらに開架には鹿児島新聞一つしか置かれていないので、同時期にあった鹿児島朝日新聞を見ようとすると今まで通りマイクロフィルムを回す必要がある。そして回し始めてから気づいたが、ここのマイクロフィルム閲覧環境はあまりよろしくなく、リーダーの直上に光があり明るすぎて画面が見づらい上、フィルムもなんだか酸っぱい。(ビネガーシンドローム
そんなわけで鹿児島朝日新聞についてはあまりまともに回せなかったのであった・・・

祝日なので17時で閉館。外に出るとそこそこ大雨であった。

ホテルは天文館だったのでアーケードのある山形屋までなんとか走ってみるが案の定ずぶ濡れになった。新しいカバンが耐水性で良かった・・・

とりあえず今回の成果はこんな感じであった。川内についても資料が揃ってきたのでそろそろ記事化できる・・・かな。

1/12(火曜) 鹿児島→川内→人吉→多良木

朝日に照らされた錦江湾と桜島を見ながら朝食。

9時頃にホテルを出る。18きっぷ期間は終了したので今日からは旅名人の九州満喫きっぷで動く。JR九州の普通・快速を含む九州内の鉄道が乗り放題となる面白いきっぷである。前回使ったSUNQパスの鉄道版に近い(こっちは特急に乗れないのでその点がちょっと違う)
鹿児島市電にも乗れるのでホテル近くの電停から電車に乗って鹿児島中央駅へ。鹿児島中央からはJRの在来線に乗って川内へ。新幹線なら10分だが、このきっぷでは乗れないので・・・

川内駅からはバスに乗って川内市立中央図書館へ。前回調査時に発見した川内艦に贈られた絵について調査するためである。

市役所とどっちに行くか悩んだのだが、例の絵が載っている市史の発行元が市立図書館内になっていたのでこちらで良かろうと判断。レファレンスに直球で聞いてみた。
そしてその結果ではあるが、実は今のところ出てはいない。資料館などにも協力してもらって分かったら連絡します、とのことではあったが、どうなっているかは不明である。こちらも何か分かれば御の字で突っ込んではいるので何も出てこなくてもまぁ仕方ないかな・・・とは思ってはいるのだが。

絵が載っている市史の発行が昭和50年頃。要するにその頃まではその絵が川内市のどこかにあったものと思われる。
対応してくださった図書館の方は古くから居られる方のようで、その市史の編纂のメンバーに知っている人がいるという話をしてくれた。が、その殆どの方はかなり前に亡くなられたという。
ハイ、分かります。関係者が亡くなったことによっていろいろ分からなくなるという・・・何度も痛感してます。

帰りはせっかくなので絵が描かれた場所へと向かってみた。図書館から徒歩20分ほど。
川には護岸が築かれ、大規模な製紙工場が建ってしまい風景は大きく変わってしまったものの、鳥居だけは変わらずその場所に建っている(当時のものと同じものかは不明)

90年ほど前、この場所であの絵を描いたのだ。川内艦へと贈るための絵を。

近くからちょうどあったバスで川内駅へと戻り、肥薩おれんじ鉄道を北へ。八代で南東に折り返して球磨川沿いを人吉、そして多良木へと進み。多良木駅前にある定宿「ブルートレインたらぎ」に宿泊した。

ブルートレインはいいぞ。なお今夜の乗客は自分一人であった・・・

 

1/13(水曜) 湯前→人吉→大分

実車ではあるものの動かないというのはやはり物足りないものではある。しかし動く寝台列車ももはや全滅が近づきあるのが現状。実車で寝ることが出来るということだけでも大切にしていきたい・・・
とはいいつつも、久々に寝台に横になると意外とキツくはあった。老化か・・・

ブルートレインたらぎはくま川鉄道多良木駅に隣接しているが、くま川鉄道の列車がしばらく無いため国道まで出て湯前方面へのバスに乗る。何気に並行道路のバスの本数は多い。

ichihusa

湯前駅を通り過ぎて商店街の方で降りる。ちょっと進むと鳥居が出てきた。市房山神宮里宮である。

市房山神宮は半年前の広島での資料調査で軽巡球磨の艦内神社であることが分かった。
実は2014年の7月にも訪れていたのだが、そのときは特に何も手がかりが無かったので参拝だけして帰っていた。今回は資料も手に入ったと言うことで、なにか分かることは無いか聞いてみようと再度赴いてみた。
神社へとたどり着き参拝を済ませたが、どうも神社は無人のようであった。あややーと思っていると一台の車が境内裏に入ってきた。降りてきた人は拝殿横の授与所を開けたので神社の人のようであった。

と言うわけで、その方は宮司さんだったのでお話を聞いてみた。

・艦内神社の件を知ったのは息子さんがTwitterで見つけたのが最初(上のツイート)
・一昨日(1/11 球磨の戦没日)に初めて慰霊祭を行った
・当時の日誌などは残ってないのでこちら側では何も分からない
・球磨という軍艦については知人の軍艦オタクから数年前に聞いていた、まさかこの神社と縁があったとは・・・
・年末に球磨型の模型を買ってきたのでこれから組み立てて飾りたい

うん。ハイ。スミマセン・・・

過去に熊本県立図書館所蔵の当時の球磨郡誌や水上村史・各神社誌等はすでに調査していて、そちらには全く情報が無い状態であった。今回の神社訪問は何かしらの記録が残っていることに期待していたのだが、結局はなにも新しい情報は無かった。
神社や地元に資料が一切無いと言うことは、軍艦と神社の繋がりがほぼ無かったに等しいことになる。
考えられる可能性としては、市房山神宮自体は球磨艦へは分霊はされて居らず、乗組員の誰かが御札なりを持ち帰ったのを供えたものが艦内神社化したのかもしれないと考えている。(戦艦金剛などで事例あり)
どうであれ、現状は著しい資料不足な状態である・・・

しょんぼりな状態ではあったが、新たな繋がりも出来たことではあり、今後地元側の調査でなにか新しい情報も出てくるかもしれない。
とにかく気を長くして考えるほかない。

湯前駅に戻ってくま川鉄道で帰路へ・・・の前にもう一箇所。人吉温泉の一つ手前の相良藩願成寺駅で降りて、人吉城跡にある相良護国神社を訪れた。
この神社には駆逐艦秋月乗組員の献木があり、その木柱が建っている・・・筈だったのだが。

木柱は経年で折れていた。もう一本も明らかに劣化しており、長くは持ちそうに無い。
こうやって人々から忘れられていくのだろうなぁ、と改めて実感する出来事であった。

Tweet about this on TwitterShare on Google+0Share on Tumblr0Share on Facebook0
Top