艦内神社ノ世界

最初の一歩 関山神社訪問記(2013年8月)

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2013年8月27日。 海軍の艦内神社勧請元であった神社に初めて足を運んだのがこの関山神社であった。

関山神社は新潟県妙高市旧関山村にあり、古くは妙高山を霊山とする修験道の道場として繁栄していた。
そんな関山神社は、1929年に竣工した「重巡洋艦妙高」の氏神神社として選ばれたのだった。

 

sekiyama2この当時(2013年8月)はこのあたりは少々行きにくい場所ではあったが、2015年春に北陸新幹線が開業し、途中駅の上越妙高駅から25分程度の場所となった。まぁ遠いのは変わらずではあるが・・・
なお自分はこの日茅野から出発、ここ関山に昼前に到着し、長岡・高崎を経由して水戸へと抜けている。無論18切符で。いつもこんな感じなので気にしないで。

参考:NT/fiv(@ntfiv)/2013年08月27日 - Twilog

 

関山神社はえちごトキめき鉄道(旧JR信越本線)関山駅から1kmほどの場所にある。また、裏に上信越自動車道の妙高SAもありそこからアクセスも出来る。(はず)
関山駅は一度移転しているが(スイッチバック解消のため)、なめらかに旧駅からの道路と合流して一直線に関山神社を目指している。

駅からまっすぐに歩いて行くと、やがて関山神社の正面の赤い鳥居が見えてくる。実はこの場所は当時の軍艦妙高の絵葉書に載った場所でもある。(鳥居は平成初頭に建替えているので同一ではないが、形はほぼ同じもの。)

軍艦妙高絵葉書より(青山提供)

軍艦妙高絵葉書より(青山提供)

 軍艦とその氏神地域は艦内神社という大雑把な繋がりしかないかと思いきや、絵葉書や軍艦に贈られた写真や絵など、意外と直接的に縁のある場所もあったりするのである。ということが後になって分かってきた。しかし、このときはまだそれを知らなかったのでほぼスルー状態である。

 

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境内はそれなりに広く、昔はそれなりに賑わっていたのだろうと思われるが、今は自分一人しか居ない。
本殿がある場所はさらに奥の一段上がったところに存在している。

 

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本殿の前には砲弾の載った記念碑が鎮座している。これは「軍艦妙高記念碑」であり、1930年に軍艦妙高に関山神社が分霊された記念として設置されたものである。分霊記念のものが分かりやすいところに残っていることはかなり珍しく、特にこういった分霊記念の記念碑はこの関山神社と駆逐艦有明に分霊した長野県の有明山神社にしか存在していない。

JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05022283400、公文備考 昭和7年 I 兵器 巻6(防衛省防衛研究所)

JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05022283400、公文備考 昭和7年 I 兵器 巻6(防衛省防衛研究所)

境内にあった軍との繋がりを示すようなものは戦後すぐに撤去されたケースが多いのだが、この神社の場合は都会から離れていたことが幸いしたのか、砲弾含めて現在でもそのまま残されている。

ちなみにこの記念碑に使用されている砲弾は、当時の関山村長が舞鶴要港部より払い下げてもらった廃兵器の「五十口径二十糎砲教練用弾丸」と「十二糎砲一號減装用演習弾」が使用されている。(アジ歴:第669号 7.2.22 産業と観光の大博覧会長廃兵器無償下付の件(9)P39-45
このような記念品となった砲弾も、戦前戦中の金属供出で無くなってしまったものも多い中、よく残っていたものである。

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sekiyama7また、拝殿内には戦後に軍艦妙高の元乗組員が奉納した額がいくつか置かれている(※白い奉献額は無関係)。幣殿側にも奉納物があるそうだが、扉は閉まっており確認は不可能だった。正月あたりなら確認できるかもしれない。

1979年に妙高会会長が奉納した軍艦妙高についての額。(諸事情でモノクロ化 映り込みが…)
一番右の写真額は平成二年に奉納されたものだが、それ以降の神社との繋がりは不明である。当時の乗組員も若くても80代から90代となり、生きていたとしてももはや参拝は難しいかもしれない。
こうして繋がりは薄れていくのである。

・・・のだが、関山神社の場合は新しい繋がりが出来ている。1996年に就役した軍艦妙高の名を継いだ「護衛艦みょうこう」の艦内神社となったのである。
拝殿には軍艦妙高関連の奉納額に並んで、護衛艦みょうこうの写真額も飾られていた。

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今回訪れた関山神社は、艦内神社勧請元の中でもトップクラスにその繋がりが残っている神社である。…ということを今後思い知ることになる。
多くの奉納品や資料はとっくの昔に破棄され、神社に縁のものが残っている方が稀なのである。そもそも神社が知らないことすらあった。

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