艦内神社ノ世界

全貌不明の艦内神社の世界

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昔も今もよく分からない艦内神社
朝日新聞 S19/5/22 朝刊より

朝日新聞 S19/5/22 朝刊より

 さて、このような艦内神社についてのポータルサイトを立ち上げたものの、艦内神社の細かい歴史はおろか、奉祀神社一覧でさえまだ完全に解明できてはいないのが現状である。

 これは艦内神社というものがあくまでも「慣例」で整備されていたもので、最後期まで規則ですらなかったことによりまとまった文書などが作られなかったことに起因すると思われる。(もしかするとあったのかもしれないが発見できていない)
 そもそも、艦内神社について書かれた昭和19年の新聞記事でも「日清戦争から日露戦争の間に現れ始めたような気がするけどよくわからない」と書かれているのだ。

 また、戦後も神道指令などの影響でタブー化され、艦内神社について調べる人自体がほぼ現れなかった、というのもある。実際、戦後から2010年頃までの艦内神社についての専門的な研究資料はほぼ存在していない
 私も艦内神社を調べ始めた当初(2013年8月)は、なにかしら当時のリストくらいどこかから出てくるだろう、というか誰かがすでにまとめているものであろう、とかなり気軽に考えていた。 しかし、この世界は戦後ほとんど手が付けられずに放置されていた世界であり、その一次資料は散逸・破棄され、知っていた当時の関係者はすでに亡くなっており・・・と、もはやその全貌はまったく闇の中になっていたのである。

情報化社会故の弊害

 とにかくひたすらに各地の資料を掘り返し、それらをパズルのように組み合わせ艦内神社史を紐解いていく。それがリアルタイムで行われているのが現状である。
 そんな状態であるため、情報の鮮度もめまぐるしく変化している。ちょっと前に発表された情報がすぐに古くなってしまうことは日常茶飯事なのだ。

 そして、このように解明が中途半端な状態の中で興味を持つ人が急に増え、少し前の古い情報や、出所不明のデマ的な情報も多く見受けられるようになってきている。
 中には全く関係のない神社を勝手に艦内神社であったとしているケースもあり、さすがにこれには研究上だけでなく単に有害情報でしか無い。(神社側にも迷惑である)
 そういった情報についても「艦内神社不確定情報一覧」として纏めているので参照して欲しい。

次:艦内神社調査の実態

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